コネで就職。

大学生「いやだって、私の行っているような大学からそんなすごい会社に行った人なんていません。」

男「あ、そう。だからどうしたの?って言うかむしろ初めてでかっこいいんじゃない。」

大学生「それにサークルでは早稲田の人にお前の学校じゃ大したとこに行けねえだろ?って言われました。」

男「ふーん。じゃあ言ってあげなよ。そうなんです、大したとこじゃないんですよ。業界では世界で3番目ぐらいなんで、とでも言ってあげれば?」

大学生「それにコネのある奴はいいよなとかも言われました。」

男「確かにウチのコネだけど、コネで入れるほど生易しい会社じゃないよ。君がその会社で通用する見込みのある人間であり、通用するようにウチで鍛えるんだから。って言うかさ、そんな人を見下したりする、品のない人たちの集まりに顔だして楽しい事あった?ないでしょ?もうそんな人たちと関わって下らないことを考えるのは辞めな。君は確かにバカだけど、愚直で私の言ったことをキチンとするでしょう?そういうところは君の美徳だよ。じゃ、今日もダッシュで私の言ったことをしてきなさい。」

大学生「はい!」

まんじゅうスゴイ。

わくわくレタッチは2006年突入。この年の三月から画風と方向性が明確になり、誰の心にどんな感情を起こさせたいか?というのがはっきりしている。またコンセプチュアルな作品群も形成されるている。三十歳を前にジーザスってありがちすぎて笑える。

この頃の世間の写真はポップな物が多くて、コンセプチュアルであってもテーマが古くさかったりしてた。時代にコミットした作品は制作費が組織から迅速に出せる仕組みでないと扱いづらく、結果としてはBBCNHKディスカバリーのような広告費や視聴料を自動的に受け取っている予算に余裕のある組織のディレクターが扱う事が多い。そういう意味では速度のない美術館や写真集を発表の場にしていた当時の写真家に旬を追わせるのは無理があるのでしょうがないか。寺山修司じゃないけども、速度の獲得は芸術の重要な要素だけど、このころの写真はポップさで時間軸の差をキャンセルしていたのだなあ。

ある種の普遍性、対立や因果を表現するのが「写真を撮ってまとめて発表する」という速度では限界なのかもね。ああ、後はパンツ(青山裕企)や笑顔(さっちん)のような表現が福本伸行が言う「道ばたで、たんぽぽを見つけたような気分。」で普遍的なのかな。対立、因果、人間こんなところか。なんか週刊少年マンガ誌のテーマみたい。

(余談。荒木経惟のさっちんの威力は凄まじく、鬱病の女性にプレゼントしたら一発で直った。)





2015年現在の写真の世界はネットで速度を獲得し写真集はフリッカーなりタンブラーなりのwebへ、箱物としての美術館は倉庫と公民館程度の存在になった。先を行くヨーロッパの美術館の多くが無料である、でないと人が来ない。そりゃお金払うなら観劇やコンサートでも行くわね、僕でもそうするし。つくづく「劇場のあるところに劇があるわけではない。劇のあるところが劇場なのだ」という寺山修司の言葉を実感する。


美術館が倉庫と公民館の役割程度の存在になったのは、象牙の塔の権威と貴族の権力に閉ざされ、我々一般人は見る事も飾る事も許されない所謂サロンから解放されたという事で、誠に喜ばしい事である。公民の字の通り名誉ある市民なら誰でも見に行けるし、参加もできる。表現の自由はいいね。

サロンから公民館への変異の中で作品も変わっていくのは当然で、誰か特定の権威者や貴族を狙い打ちにする「美味しんぼ第四話で大富豪の京極さんを質素な食事で迎える」のような小技は効かせなくなり、誰でも感じる事ができるポップか、公共の利益になるような事(ベネトンのようなね)の両極へ。

杉本博司のように禅を描いたり、胡蝶の夢を永津広空(だと思う。違ったらごめん)が描いていたりと東洋思想を描く手もあるけども、宗教も公共の利益なのでやっぱり大枠は二択なのかね。




まんじゅうは食べ終わったら忘れた。








http://perfectrices.tumblr.com/の今日の一枚。

2006年。西新宿。かどやホテル。毎日ヨドバシカメラでフィルムを現像のために渡し、現像が終わったフィルムを受け取り、このホテルのラウンジでホットショコラを飲みながら検討していた。当時にしては珍しく無線無料スポットでいつ行っても席が空いていたので便利なサロンだった。

2005年終了。

2005年が終わった。加速度的に写真が少なくなってきて明らかな失敗が全くなく、この頃から人を撮る余裕も出てきたようである。そしてこの頃の自分が考えている事ならば分かる。ああ、なるほどね、見る事と撮る事が融合し始めていて明確な意図、自分の為ではない誰かを意識し始めているという感じで。その誰かが明確ではないので、方向性はあっちにいったりこっちにいったりとめまぐるしいのだけど、そのめまぐるしさが若さと言うか情熱と言うか。青い春ですな。

そういう反射で撮るという行為自体はフィルムカメラ的で、デジカメだとついつい撮った後にプレビューを見るのでそういう絵にはならない。パッションと精度は負の相関関係だなあ。精度が必要な時はともかく、この視点はかっこいいので見習ってみよう。

2004年終了。

2004年の写真のレタッチが終了して、2005年に入った。そんな中で興味深いのは2004年の最初期の段階で後に売れる写真が撮れていた事。この頃はまだイラストレーターをしていて、あくまで資料として写真を撮っていたのだけど、何が功を奏すかは分からない。サンだったかオラクルだったかシスコだったか忘れたけど、それ系の経営者が「プログラムはすぐに陳腐化するが、データは年と共に熟成する。」と言っていたが、まさその通りで死ぬまで製作物は捨てない方が良いね。と思いつつ、当時何を考えていたか全く不明なので、今現在の判断で明らかにどうしようもない写真、指が入っていたりするものは消していってかなり枚数は無くなった。

それにしても、なんだか分からない写真というのは実に不思議なもので、佐内正史の「わからない」は良いタイトルだなあ、などと17年ぶりに思ったりした。

今日は休み。

今年の春から時間が出来たとはいえ、毎日2004年の写真をレタッチしている訳にもいかないので、昔のレタッチはお休みにして、ここ数日撮った写真もレタッチしている。

今は技術や考え方も大いに変わっていて、この写真はどういう人達にどういった印象を持ってもらいたいか?その集合体である作品がどういうハレーションを起こすか?というのが少なくとも自分では明快で迷いなく出来ている。昨日の日記の出来ないことを出来るようにがんばって脂汗をかくのとはえらい違いであるけども、同じ写真なのだよね。

昔の気楽に撮った写真を脂汗流しながらレタッチすること、今の撮影時に脂汗を流しながら撮った写真を気楽にレタッチすること。作業の強度はあんまり変わらないけど、結局は脂汗を流していてどちらも楽しい。

初心わすれた。

レタッチをしなおしている写真を撮った2004年ぐらいの時期は、自分の画風を創るのに試行錯誤していた時期だったのでレタッチが支離滅裂だった。当時はデザイナーさん泣かせで「どうやっても写真が崩れる」と怒られたり、皮肉を言われたりしてなんとかシンプルに出来ないかと工夫して今はまあ普通に出来ている。

そんな滅茶苦茶なレタッチしてた写真たちが、今現在技術が小慣れて思い通りに出来るようになっているにもかかわらず、どうやったらいいのか全くわからない。それが結構重要な写真だったりしている。

ギターウルフが「俺は練習しないよ、上手くなるから」と言っていたけど、アレは大事な事だったんだなあ。小手先が上手くなりすぎると慣れで出来ちゃうので魂が入らない。出来ないから出来るように懸命にやる、そういうところに魂というかパッションというか、熱量が生まれるのだなあ。12年ぶりに上手くいかないもどかしさを、忘れた初心と共に抱えている。

しょうがなく始めたことだけど、いつだって挑戦し続けなければいかんね。その前に目先の写真の山をなんとかせねば。

初心

デジタルで写真を本格的に始めたのが2004年。それ以来、2004年から生データの入ったHDDと、レタッチ済みの物が入ったHDDの二つに分けて制作を続けてきたのだけど、2014年春にレタッチ済みのデータの入ったHDDが突如壊れてデータが読めなくなった。

すぐに使う写真は生データからレタッチしなおしたりして急場をしのぎ、2015年が明けて春になると時間に余裕も出来たので失った作品を新しく創り直すべく2004年からの写真をレタッチし直しているのだけど、何がしたいのか分からない写真が大量に出てきて非常に面白い。今の自分との摺り合わせが出来ない荒々しい写真だけど、死蔵させてしまうのも生み出した手前無責任なのでアップロードして遊ぼうと思う。今は当時と違って写真をアップロードするのはタンブラーやインスタグラムでそこから仕事が来る事もあったりする時代だけど、そういう要素のない、撮影した当時の流行だったweb写真界隈風な写真なところがすごく逆に新鮮。

思えば当時もこうやって写真で遊んでいたな、今よりよっぽど楽しそうだし下手くそだけどイキイキとしてるなあ。

http://perfectrices.tumblr.com/